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 子どもはどう映像を理解しているか

村野井 均 (福井大学教育地域科学部 発達科学講座助教授)

 私は、子どものテレビ理解の研究をしています。日本では、あまりテレビの理解については研究されていませんが、テレビというものも、実は言語や会話と同じメディアですから、メディアと言うには何らかの形で子どもたちは修得しているのだろう、発達しているのだろうと考えています。

テレビはメディア <図1>
 テレビはメディアです。メディアが成り立つということはどのようなことか。受け手、つまり放送する側と、聞き手、つまりaudience・視聴者ですね、その間には様々な約束事があります。それは、インターネットを使うと分かると思いますし、あるいは電話も同じですし、会話でも手紙でも、様々な約束事を持っています。それがお互い成り立っているから、情報が流れているわけです。テレビも実はたくさんの約束事があります。何曜日の何時に何チャンネルで放送するのか、そういったことを大人は知っていますが、子どもは当然分かりません。役者は誰で、脚本は誰の作品か。これも大人は知っていますが、子どもは知りません。ニュースなのか架空のドラマなのか、大人には区別できますが、子どもはできません。子どもは、そのようなことを理解する、発達的なプロセスを経ている、と考えていかなければなりません。日本の場合は民間放送なのか公共放送なのか、コマーシャルがつくのかつかないのか、あるいはどんなスポンサーが付いているのか。そういうことも大人はテレビを見ながら分かって見ています。このようなことを子ども達は修得していると考えるべきであると思うわけです。

学校での取り組み <図2>
 今までの学校でも、テレビの約束事を教える内容は入っていました。
 例えば国語科の中では、テレビとの付き合い方という内容があります。ここでは何を教えているかというと、テレビは情報の断片しか伝えていないんだ、テレビカメラに映っている範囲のことしか伝えていないんだ、ということです。それによって、テレビの裏側のことも考えましょう、ということが国語の授業の中に入っていました。
 また、社会科には情報という単元があり、その中で、放送局について教えています。スタジオとか調整室とか、これはあまり一般の人は見ることはありませんが、副調(副調整室)などと言ったりするところなど実は小学校5年で教えています。
 道徳科の中では、商業主義、コマーシャリズムについて教えたり、家庭科での学習と一部重複しますが性役割の話や健康について教えています。清涼飲料水は何カロリーあるか、砂糖はどのくらい入っているのか、といった授業もあります。
 このように考えてみると、日本では読み取りの教育は、比較的取り入れられていたのではないかと考えています。

ニュース番組をつくろう <図3>
 2002年4月に施行された学習指導要領のなかで、国語科は大幅に改訂され、メディアリテラシー的な内容がたくさん入りました。その一番の例が「ニュース番組を作ろう」という内容、単元です。教科書を持ってきましたのでご覧ください。このように教科書のなかに「ニュースキャスターになろう」とか「ニュース番組をつくろう」という内容の単元が入っています。その内容はどのようなものかと言いますと、ニュースを集めて構成表を作って、撮影し、発表する、あるいは校内放送をするという内容です。

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番組づくりの内容 <図4>
 ニュース作りというのは、一種の企画ですね。アイディアを出し合って、何をやろうかと。そして取材に行きます。デジカメを持っていったり、ビデオカメラを持っていったり。そして構成表作り。まあ、これが一番大事なのでしょうけれど、構成表というのは、左側に絵コンテが書いてあって、右側にセリフが書いてあるものです。それをもとに編集会議をして、台詞を決めます。続いて、撮影や発表をします。ここではディレクターとかキャスターという名前も出ています。もちろんカメラマンという名前も出ています。テレビでは、フリップという図や表がかいてある資料が出てきます。授業でフリップをつくったりもします。小学校の低学年は、教室でニュースをプレゼンテーション形式で発表しますが、教科書の絵を見ると、発表の様子をビデオカメラで撮影しましょうとも書かれています。中学校くらいになると、しっかりと役割分担の中にカメラマンがいますから、当然ビデオカメラを使うことが前提になっています。地域によっては作った作品を放送することもあります。このようにみてくると、小学校から中学校では、一応読み書きの部分、つまり国語的な部分という意味ですが、内容的には揃ったということが言えます。
 どうしてそのようなことをするのでしょうか? いまの世の中、情報のほとんどは映像で伝わってきます。子ども達はちゃんと映像を読み取っているのだろうか、あるいは読み書きという点で考えると、映像を書くということも必要なのではないだろうか、と考えられるわけです。

児童のテレビ理解 1 <図5>
 理解という点では、わたしはテレビ理解を専門にしています。いろんな年齢で調べてきていますが、かなり理解能力が低いことがわかっています。
 「できるかな」という番組が以前放送されていました。NHK教育の幼児向けの造形番組で、のっぽさんとゴンタ君というキャラクターが出てきます。映像的には、のっぽさんとゴンタ君しかテレビに出てこない非常に簡単な番組です。音声は「ウゴウゴ」という鳴き声がしていました。ゴンタ君の鳴き声ですね。もう一人、女性ナレーターが番組の司会進行をしていました。彼女を加えても、二人しかいませんから、大人が見ればどういう人間関係なのか非常に分かりやすい番組といえます。ところが、子どもにとって非常に混乱させられる番組でした。
 どの様に混乱していたかといいますと、ゴンタ君に「ウゴウゴ」という動物の鳴き声を付けてみます。ゴンタ君は動物ですから「ウゴウゴ」と鳴いていますとこういう組み合わせをしますね。そうすると困ったことに、のっぽさんには女の人(=ナレーター)の声しか残らなくなってしまいます。二つの映像と二つの音声しかないからですね。子どもたちは、のっぽさんは男なのか?女なのか?と迷ってテレビを見ていたわけです。非常に変な間違え方をしていますね。しかし、画面に現れる音と映像には2×2の組み合わせしかないですから、子どもは必然的に間違う訳です。

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児童のテレビ理解 2 <図6>
 実際に小学生に「できるかな」を見せてみました。放送が終わってかなりの時間が経っていますので、「できるかな」をリアルタイムでは見たことのない小学生です。15分番組を見てもらったあと、3枚の写真を見せました。のっぽさんの写真、ゴンタ君の写真、そして女の人の写真です。また、「ウゴウゴ」というゴンタ君の鳴き声と女性ナレーターの声を入れたテープレコーダーを用意しました。そして、テープレコーダーの音を聞かせて、「この声は誰がだしていますか」と小学1年生から4年生までに聞いた結果がこのデータです。
 二つの映像と二つの音声しかなのですが、この組み合わせを子どもたちはどのように組み合わせたのでしょうか。正解は、ゴンタ君は動物の鳴き声を出している、女性ナレーターは画面の外にいて姿は存在しない。のっぽさんは喋っていない、です。1、2年生はほとんど正解できませんでした。4年生の正答率が44.4%です。全体に、正答率がかなり低く、非常に間違ったテレビの見方をしていることが分かりました。もちろんこのデータは初めて番組を見た子どものものです。この後どうなって行くのか、メディアリテラシーの視点から興味深い部分です。

子どもは論争し修正しながらテレビを見ている <図7>
 この番組を見ると、子どもはいろいろな論争をし、自己主張をします。のっぽさんは男か女か、のっぽさんは男だという考え方、背が高いじゃないかとか、顔がゴツゴツしているじゃないか、などという言い方をします。いや女だ、という子は、髪の毛が長いじゃないか、爪がきれいだからあの人は女に違いない、などと様々なことを言います。あるいは、人間がしゃべっているはずだけれども口は動かしてないからのっぽさんは腹話術で司会進行をやっているのじゃないか、と考える子もいます。あるいは、ゴンタ君が2人分の声を出しているという子もいます。どうしてこんなにゴンタ君が太いのかというと、中にマイクを持った男の人と女の人が入っていて、男の人と女の人の声をゴンタ君が出しているんだ、という考え方をしているの訳です。こういった論争をするなかで、それぞれ矛盾するところが出てきます。どうしよう、となると、知っている子どもが、実は放送局という所があるんだ、ナレーターという職業があるんだと言います。そういうところまで行って初めて、のっぽさんは男か女かという論争は解決できます。つまり、子どもは論争し、修正しながら見ているといえます。つまり、最初に間違うか間違わないかではなく、それを論争する場が必要なのだと思っています。ですから、「できるかな」という番組のために言っておきますと、これは小・中学校でも非常に人気のあった番組で、大学生になっても学生たちはよく憶えています。彼らにとって、やっぱりこれは不思議な番組だった、かつ、それをずっと引きずったのです。本当は幼児向けの番組なのですが、ずっと不思議がられていたという点で、この番組はメディアリテラシー教育の側面を持っていたのではないかと思うわけです。

児童が習得中のもの <図8>
 このように考えていきますと、児童が習得中というものはたくさんあります。ここに挙げているものは私がいろいろと実験したものです。例えば、子どもは時制がよく分かりません。時間を過去に戻すとか未来を表したシーンは分かりません。日本では未来形・過去形といったものはいつ教えるかというと、ちゃんと教えるのは中学2年生の英語の時間に初めて過去形・未来形を教えています。それ以前は、はっきりとした形で過去や未来は教えていませんので、かなり混乱するものだとは思います。もう一つ時制関係では、再現映像が混乱を起こしやすいです。小学校2年生くらいまでは混乱しています。ほかには心の中の表現です。テレビの場合は、映像的に心の中を表現します。例えば夢の中ならばモヤモヤモヤーとなってから夢の場面に行く、あるいは少し画面がボケるとかです。これらは、映像表現上の約束事ではあるのですが、そのような約束事を子どもは修得しなければ理解できません。その他、時間の省略、場所の省略、あるいはコンピューターグラフィックスも最近すごいですから大人でも間違えます。小学校の高学年くらいにならないとNGシーンを見て笑えません。多分、NGシーン自体分かっていないということです。リプレイとかスローモーションとかカメラワーク、こういった事も実はかなり分かっていません。私は分からなくてもいいんだろうと思っています。今まではわからなくても何とかなって来た訳ですね。これからは少し考えなければと思っています。これらの表現方法を間違って、子ども同士で論争し、修正することができる場作りが必要なのではないかと思っています。

幼児は? <図9>
 幼児になるともっと基礎的なところが分かっていません。例えば、番組の区切り、終りという部分が幼児には分かりません。コマーシャルと番組の区別。これも分かりません。子どもはテレビの中に人がいると思っています。それが、本当にいるのかとか本当にやり取りできるのかいう所を、子どもは迷っています。テレビとビデオの区別、つまり一回しか放送しないものと何度でも見れるものとの区別がまだまだ分かっていません。 ではいくつかの例を示したいと思います。

番組の区切り <図10>
 番組の区切り:2歳10ケ月の男児。ドラえもんのビデオ「鉄人兵団」を見ていました。実はこれは何度も見ていたビデオです。ビデオの途中にドラえもんのテーマ音楽が入ります。最初、つかみといいますか、問題の発生部分がありますね。しばらくしてから、ドラえもんの音楽が始まる訳です。音楽が流れた時に子どもが何と言ったかというと、「あ、もう一つ始まった。」と言ったのです。大人からすると、一つのストーリーなのですが、音楽が入ると一旦終わって、また別ものになっていると思っています。
 最後に悪者を倒して、音楽の終了とともにエピローグというものがあります。のび太の教室の場面ですね。そこでまた子どもはなんと言ったかというと、「ああ、もう一つ始まった。」と言ったのです。どこまでストーリーが分かっているのだろうかなという様な発言ですね。つまり、音楽というのはストーリーの切れ目で使うものだとは子どもは分かってきているんですが、ストーリー自身が全く別なものになってしまっている、と誤解している例です。

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コマーシャルと番組の区別 <図11>
 コマーシャルと番組の区別:3歳9ケ月の女児。子ども向けのコマーシャルを見ながら、私は子どもに尋ねました。「これはコマーシャル? 番組?」と。すると、子ども向けコマーシャルは「番組」と答えました。次に大人向けのコマーシャルを見ながら、「これはコマーシャル? 番組?」と聞きました。子どもは「コマーシャル」といいました。大人向けのコマーシャルはコマーシャルなんです。もう一度、子ども向けのコマーシャルを見ながら、「これはコマーシャル? 番組?」と聞いてみました。子どもは「番組」と答えました。子ども向けのコマーシャルは番組だと思っている訳ですね。つまり、コマーシャルもたくさんありますが、大人向けか子ども向けかという点では、実はあまりうまく区別がついていないという訳です。

テレビの中に人はいるのか <図12>
 テレビの中に人はいるか・いないか:私は虚構の理解という研究をしていましたので、テレビの中にいる人間をどのように子どもは理解しているのか、ずっと不思議に思っていました。2歳から3歳くらいの子どもがテレビを見ているときにどんな事をしているかといいますと、一人の子どもがテレビの中の悪者をポンと叩いて逃げて行くんですね。それを見ると、テレビが恐くて近寄れない子どももテレビに近寄ってポンと叩いて逃げていきます。他の子どもも我も我もとテレビを叩きに来ます。ほかには、テレビの側に来て、「わー」とわざと大声を出す子どもがいます。私はずっとなんであのようなことをしているのだろうと思っていました。聞こえる訳がないのに、と思っていたのです。実はあれは確認作業しているのだと今は思っています。テレビの中の人を叩いたって叩き返してこない。あるいは、どんなに側で大きな声を出したってうるさいと文句を言ってこないということを実は確認しているのではないか。つまり、一人では、こういったテレビの中の悪者は恐いですから近寄れない。勇気のある子しか近寄れないのですが、誰かが叩き始めると、私も安心して叩きにいけるということを実は子どもはやっていて、ああいうふうにして、みんなで見て理解しているのではないかと思っています。ただ、黙っていると、段々子どもはエスカレートしていきます。ドンドン叩いたり、蹴ったり、積み木を持ってきてガンとやったり、悪乗りをしてきますので、途中で抑える必要はあります。しかし、初期の部分に関しては、テレビというものを探索する側面を持っているのではないかと思います。

テレビはみんなで見るメディア <図13>
 結論を申し上げますと、テレビというものは一人で見ても分からない、テレビというのは非常に難しいメディアですので一人で自然に分かるものではないという事です。
 疑問を持ったり、独り言を言ったり、友達と論争したり、家族と論争したり、家族に笑われたり、そのようなことをしながら、テレビというものを今まで見ることが出来たのではないかと思います。そのためには、いろいろと間違うことは大事だろうと思います。心配なのは個別視聴化ですね。一人一台でテレビを見て、自分の部屋でテレビを見る時代になってくると、好きな番組を好きなだけ見ることができます。そうなってくると、テレビを習得する場が失われて来るのではないかと。そちらの方が恐いと思っています。



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